昭和46年10月20日 教祖大祭
本日は、親教会長の荒巻先生が、お久し振りでご祭主を務めて頂きました。もうここ数ヶ月間、親先生がお病気、時にはお病気全快のお願いを、退院して帰ってみえてからは、どうぞご身体が、いよいよお強うなられて、普通にお取次ぎが頂けるようにと。もうこれは日夜の祈りであると同時に、日々お取次ぎを頂いてお願いをして参りました。
そしたら、「今度のお祭りは、私がおかげ頂くよ」ちゅうてから、一月ぐらい前でしたか、仰って頂いてもうほんとに、もう夢にも思って居なかった様な事が実現しました訳でございまして。まあ今日など私、親先生のいわゆる副祭主を務めさせて頂いて、正面に座らせて頂いて、親先生のご感動が、私の心に通うてくるような思いをいたしました。素晴らしいですね。感動ということはね、皆に伝わって行くんですよね。
この感動というのは、そりゃいろいろございますけれどもね。信心によって生まれてくる感動というのはね。「これは私が感動するのではない、親先生が感動なさっておられるのではないね。神様が感動なさっておられるその感動が、親先生に伝わり、私に伝わってきておるのだ」と私は思いますね。皆さんがよくお体験になる事だと思うですね。一生懸命に御用などなさった後の感動。あれはねあなたの感動でなく、そのままが神様のご感動だと私は信じております。ね。
ですから神様が喜んで下さる。神様が感動して下さるね。その感動が私共に伝わってくるね。それが私はお道で言う「真に有り難し」という心であり、これは信心でなけれ、なければ頂けない心の状態だと思いますね。私は信心生活とは、そういう意味においてです、やはり感動の生活だと思うのですね。日々が有り難いね。朝目覚ましのおかげを頂くね。「賜りし命、生かされてある今日目覚めたり」か。「目覚めた、このしことの有り難きかな」でしたかね。教主様の最近のお歌です。
ほんとに目が覚めたと言う事はです、実に有り難い。それは賜りし命、いわゆる賜りし命ね。ですけれども、私共に感動がなかったらですね。理屈の上で神様に頂いた命だと分かっておっても大した事はない。それが感動となって生かされてあることの喜び、今日目覚めたと言う事の有り難さというものがですね。目が覚めた。そして私の場合を申しますと、目が覚めた枕が玉串案のようなもんです。拍手してから、今の歌を最近は繰り返さしてもらいます。
夕べなんかはもう殆ど休んでおりませんけれども、おかげで有り難い目覚ましのおかげを頂いた。ところがそこに休んでおります三男の幹三郎が、もう丁度一年になりますね。お父さんの信心に、言わば付いてまいります。朝もう遅くとも三時二十分には起きらなきゃなりません。ところが家内が今日は、どんなに起こしても起きらんのです。私は紋付袴を着けてから、もうちょっとであとにその、起きるのを待っとりました。そしたらちらっとこう見えたんですね。私がその待っておることが。
そしたらパァッと起きてから、洗顔そして紋付袴を着けましてから、三時半にここへ出て参りました。私はその姿を見せて頂いてほんとに感動いたします。有り難いなぁまあだ十七かそこらの子供がです、もう一年もお参りお父さんの信心をもう見習おう、神習おうとして一生懸命。私はその感動を今朝から朝土居の久富さん所の息子が、いわゆる浮羽高校で大変頭の良い子でございますが、私の幹三郎と同期でございます。ほいであの病気を機会にもう学校を辞めて、そして宗教家を目指すんだともう宣言致しました。
もう学校の先生が友達が、もう何回も何回も、しばらく休んだそんなことなんかは問題じゃないから出るように言われましたけれども、もうはっきりそれを申します。「あんたがそれだけ、その覚悟しておるならもう無理には勧めん。どうぞ立派で有り難い宗教家になって下さい」と言うて、その担任の先生も或は友達からも、もう励まされて今日まで、もうやんがて一年になろうとする日々をです。
しかも私は他の兄弟で真似ができないと言う事は、朝の御祈念を頂いて、御教話を頂いて、そしてあの事務所に入ってそしてしばらく御用さしてもらう。他のもんは皆んな朝を頂いたら、つんと裏下がって寝てるもんもありゃ、もうその裏でテレビどん見よるもんもするちゅうごたる風ですけども。ほんとにね子供でも一心発起させてもろうたら、そのようなことができる。今日あのこうタクトを振りましたあの子でございます。
少年少女会で例えば、泊りがけでどこんちに行くことのない以外は、もうそれこそ一日とて欠かしたことありません。または、無理に起こした事もありません。もうほんとに有り難いね。それがどう言う事のおかげかというと、やはり頂いた命ね。病気期間に病院に入院するまでの働きもさることながらです、もうそれこそ一分一厘間違いのない神様のね、お働きの中にございました。
ちょうど去年今頃でしょうね。修学旅行の事で検診を受けた。ところが「これは唯の病気じゃないぞ」と。「こういうのは旅行に連れて行かれんすぐ。医大の専門のお医者さんに診て貰う様に」と言う事であった。ちっと風悪いようにして電話がかかってきた。お父さんに私ちょっと忙しい御用さして貰いよりましたけれども。その父親にその呼んでくれと言うて、先生からあんまりその私が冷淡だって言う訳なんですね。もうしかも手遅れである。もう間違いなしに肉腫ガンか肉腫だとこう言うのですね。
それをですね私は本当に神様のご都合の間違いなさをそん時に感じたんですけれども。その日、田主丸の小野先生小野病院の。先生から電話が掛って来た。あっここへみえた。そして私が医者やら薬やらかかると、あんまり好かん事知っとるもんですけんね。毎日先生も参ってみえますから。「けどもどんなに考えても、幹三郎さんあの頬の状態は、普通の病気じゃございませんよ」と「何とか手を打ちなさらなければ」と。実は昨日西見病院の院長が、この先生は信心はございませんけれども。
親先生の奥さんが、あちらへ行っとります。息子だけがここへずっと参ってきます。それで幹三郎が、その何日か前に遊びに行ったその西見病院に。そん時に先生が呼び止めてから診られたところが「これはただの病気じゃないばい」そして小野先生に電話が掛って来た。「あんた達はご信者で毎日行きよってから、ああいう病人を放からかしとくっちゅうのがあるか」と言う様なご注意を受けたのと、学校からそう言う風に旅行には連れて行かないと言う事を言うて来たのが一緒でございました。同じ日でした。
神ながらこれも私は神ながらだと思いましたですね。それから旅行には行けないもんですから、私は彼に「あんたの病気がこんなに質の悪い病気だ」とは言えません、親として。そこでね、旅行には行けないけれどもね、明日からお父さんとお母さんは、御本部参拝をする。ちょうど古川この様の五十年の式年祭にご案内を頂いておるから。いわゆる教祖の神様の一番お下のお嬢さんでございますね。
この様ね。『末為神』と申し上げる。古川末為神の五十年の式年祭に、私共はその翌日から家内と二人で行かなければならなくなったね。そこで私は幹三郎にです、旅行に行く代わりにね、あの「御本部へ連れて参ろうか」と言ったら、「そりゃあ僕はもう、旅行よりも御本部の方が、どのくらい良いか分からん」「ほな連れて行って下さい」と言う事であった。その前後してでございましたが、ちょうどここで、美登里会の方達がね、大祭後の、家内を中心に慰安旅行をした。
そして帰って来て私がこその話をさして頂きましたね。どの先生が診られても幹三郎の病気はね、「肉腫」でなかったら「肉腫ガン」だと。私弟が肉腫で亡くなっております。そういうひとつの血統もやっぱあるわけですね。それでもね私は先日、そげなふうで三人のお医者さんからです、親の私に言われたばってんね。「おかげを頂いてひとつも慌てんですむということは、もう何と有り難いことじゃないの」と話しましたら、後ろで座っておりました家内がガタガタ震え出しました。
なんせ座っておる皆さんが、始めて聞くことですからね。ちょうど久留米の野口さんもその事を聞かせて頂いてね。それから自分の長女の婿であるとこ富永先生です。これはもう耳鼻科の九州で権威と言われる、まあ小倉の記念病院にお勤めになっておれます。それに私に言いよったら、親先生は「そげなこといらんこと世話やきなさんな」と言われちゃならんと思うて、もうそのその日の内に小倉へ帰った。
その話を富永先生にされた。「いやいやお母さん私もね、幹三郎さんの病気はただの病気じゃないなと、お参りするたんびんに思いよったが」ね。「そんなら」と言うて、もうその晩のうちに来て頂いた。ちょうど、総代の高芝さんがお参りをし合わせておりましたから、応接間で、高芝さんが立会いのもとに、診察をいろいろお道具を持ってみえて、診察してくださったそうです。私は、ここの控えで待っておったね。
もうあの、こう口を開けてごらんになった時に、もう道具も使われなかったそうです。もうそれこそ富永先生の顔色がスーッと変わった。側におる高芝さんも、「これは容易ならんことだ」と。「とにかく、私の後輩、またはその権威と言われる先生が医大におりますから、明日は幹三郎さんをお借りします」ということ。神様は、この病院に行くでも、何とはなしにこうね、もう神ながらに道を付けて下さるような感じをいたしますですよね。それから、行ってまいりました。
私はその事を神様にお願いをさせて頂いておりましたらね。もう私の神前がもうこうあの、いわゆる紫ムードとでも申しましょうか。紫は安心色と教えられるからね。「安心ムードで行けよ」と。「後ろにお父さんがおるぞ」とね。「それからあんたの事は毎日、親先生のお取次ぎを頂いて、毎日お届けをさせて頂いておること。だからね安心して行け」と言うてまあやりました。勿論本人それをいろんな模様を聞いてくるはずはございませんけれども、間違いないもうとにかくね。
とにかくこれまでこれを、この病気を放っておったね、その親が冷淡だと言うても、さんざん悪く言われたそうです。私のこと。私富永先生が診察をなさってね。いよいよそれだと分かった時に、高芝さんと、先生とそこへみえました。ご飯の用意しとりましたけれども、先生方もうご飯を頂かれん、もう喉も通らんごとある。いわゆる富永先生に申しました。「あのね、医者ではそうした、まあ手遅れとか何とか言いますけれどもね、このように間違いのない神様の、一分一厘の間違いのない働きの中に起きて、そしてこの様な事になってきておると言う事ですから、決して手遅れじゃありませんよ。
富永先生、ちょうど良か時ですよ」と私が申しましたら、「ああそうですか」ち言うてから、言いなさいましたけれども。帰ってから「もう親先生ばっかりはもう、ほんとに素人っちゃ、まあどうしたあげなこと平気で言えるじゃろうか」と言うて、奥さんに話されたと言うことです。ね。病院に、先生、それからあちらの奥さん。もう一生懸命お母さん。それで、自動車の中で、もちろんそこには、幹三郎はおりませんね。いわゆる野口さんです。野口さんのお母さんにね
。「お母さんって、今度幹三郎君の病気だけはね、もう絶対難しいです」ちゅわれた。「もしあるなら、奇跡が一つあるだけです。しっかりお母さん拝んで下さい」ちゅうてから、運転しながらお母さんに仰った。と言うて明くる日、野口さんが来てそれをお届けされるんですよ。けれどもね、私の心の中にはね、まあ微動だもと言うて、ちっとは大事かしらんけれども、「おかげ頂いた」と言う事だけしかなかったですね。
これが人の子ならね、私はもうほんとに、これ信者の子だったら、私はあんなに、ふうにはしてはおけなかったと思う。あれは自分の子だからでけたと、自分で後で思いますね。そう言う様な事のある後に、私どもの御本部参拝でございます。いわゆるこの様の五十年の式年祭を拝まして頂く、そう言う事をもう信者は荒々しくその事を知った。だから「今度の幹三郎さん御本部参拝は、もう幹三郎さんにとっては、最後の御本部参拝であり、金光様と最後のお別れをしてみえるのだ」と言う事でございます。
私共が福岡へ送って行って貰いましたら、他のご信者さんが皆集まっておりました。そしてもう、幹三郎さんの好きな物なりと何でん買うてやろう。時計も買うてやろう、そして、食べた事のない物いっぺん、あっちこっちのレストランやら支那料理屋へ行ってから食べさしてやろう、時間が随分汽車の時間がございましたから。それからまああちらこちらへ支那料理を食べ、またいわゆるグルグル回りよったら、もう本当に何も知らないという感じでございます。まあ親としては、まあ幾分助かった気持ちですね。
寝台車を取ってくれてありましたから、親子三人で寝台車でやらして頂きましたが、ほんとにねひとつ間違えば、これはもういよいよ今日は親子別れの、言うならば旅行である。それで私は少し人間心使うて「帰りは四国辺り参って行こうかね。お前の気分が良かなら」そしたら「神様参りですから、もう僕はツウッと帰ったらええです」ちゅうた。「いや、あんたがそげんならそげんで良か」
だから帰らして頂いたらまた、福岡のご信者さん方が皆、待っておって、もう朝でございましたから、「これからもう福岡界隈だけでもいいけ、見るとこやら食べるとこやらに連れて行きたい」というわけであります。もう朝が、まだ早かった。ところが肝心の幹三郎がですね、あの「いやもう帰る」とこう言うた。まあそんなわけで帰らして頂いて、入院のはこびになった訳でございました。
そらぁもう毎日毎日大変な事でした。毎日百五十名平均の方達が、お日お届けがあって、ここにあの、お三宝が出されました。その特別御祈念の為の、とにかく百何十人からのお初穂を奉って、信徒会長がそれをお供えさして頂いた。どうぞ幹三郎さんのおかげを頂かれることをもう毎日毎日、一月という間はそれこそ勢祈念というのはこう言う事であろうかと思うくらいに、一生懸命にお願いをして下さいました。
日にちが経ちまして、一週間でしたか、そしていよいよ手術と言う事になりました。病院に行く人、ここへ詰め掛けて御祈念をしておる人ね。ちょうどその前の一日二日前に、十三日会がございました。その十三日会のあとに、あと幹部の方達が、ある何かで話し合いで、十人ばっか残っておりました。どういう(?)を皆で頂こうか、と言いよるところへ、小野先生が、それこそ血相を変えて入ってみえました。
「親先生今日私は、その主治医の神先生に会いました」神先生とは「神」と書いてある。「会いました」ってね。「ほんとに親父の顔が見たい」って言わっしゃったですよっち言うてからもう、私にケンカを売らんばかりに言われました。「ほらそんなら親父がいっちょ顔見せに行かなじゃごての」ち言うたことでしたね。「親先生、医者がどげんあなた言いよるちゅうことを、あなたが知りなさらんけん、あなたがそげんほけんごとしとりなさる」と言うてもう話をね。
十人ばかり残っておる者に、もうこういう絶対間違いのないという、言わばね、もう生きる事のできない間違いのない病気であると言う事をです、皆の前で話されましたけれども。その時も私の心は動かなかったですね。信心ちゃ有り難いですよね。うん。それこそ一緒に御神酒頂いてる方が、時に皆総代さん方幹部の方達が「私があん時、私の顔色が変わったかね」と「お酒はもう飲めん。
もうご飯もいけんじゃなくてからようになってから、私は、あの時にはもう、ことのほか愉快に御神酒を頂いて、ご飯を一緒に頂いたでしょうが」と。と言うて、言うて後で話したことでした。ね。心にあれば顔に現れる。ところがです、信心とはそういう心を段々段々ね、いわゆるどの様な場合であっても、これから先どの様な事が起こってきても驚いてはならんぞ、というほどしの心が、段々できて育って来ておったと言う事が、私は言えると思うです。
ちょうど一ヶ月ぶりに、おかげを頂きましてから手術をした。手術の経過が、やっぱこう電話で送ってまいります。私は御結界に奉仕しておるね。ある方がここにお届けに出てまいりました。もうあと一時間ぐらいで手術が終わるという、まあ手術中でした。「親先生」と言うたけども、何か私は、「はい」という言葉が出なかった。そしたら「親先生」ちゅうてから、「どうぞ幹三郎さんの命を助けて下さい!」ちゅうてから、この玉串案にしがみついて、こうこうされました。ね。
そうしましたらね、私の心眼に、『誠』という字を頂いた。言偏に成ということ。ね。末永さんて言う方でしたから、「末永さん、あんたの願いは神様が聞き届けて下さるよ」と言うたら、ここに泣き落ちました。ね。「言偏に成と書いてあるでしょう。あんたが今言うておることが成就するということなんだ」ね。いわゆる『一心の真』と言うけれども、もうこの人の全財産であろうと思うほどしのものをお供えしてね。「親先生」で返事がなかったら、「親先生」と、神様の声ですね。
「神様」と言うて、いわゆるむしゃぶりつくようにですね。それもただ地団駄踏んで「どうぞどうぞ」と言うて願うだけではなくて、その「一心の真」を捧げての願いであるね。私は、ここんところをほんとに皆さん思わにゃいけんです。「一心の真、一心の真」と言うけれど、「一心の真っちゃどげなことじゃろうか」と言う人もないね。もう分かったところで分かっただけじゃ、何もならん。「一心の真」は捧げなければダメね。新田義貞が、あのいなむらがさきでね。
侍にとってはもう、黄金作りの家宝のその刀をです、龍神に供えますね。どうでもこの海を渡って行かなければ、もう間に合わない。もうね。いわゆる、もうどうにもできない時にです、自分の一番大切にしておる物を龍神に捧げて祈った。という古事があります。ね。不思議や、海の水が干上がった。その干潟を渡って友軍に追いついた、という話がある。ね。
ただお願いしましたとか参りますだけじゃいかんです。一心の真を捧げての願いでなからなければならんね。これならば、もう絶対神様は聞き届けて下さる。それをそのもう死んだもんばい出るとこ、というふうに電話を聞いた人が感じたらしいんですよ。いや難しかったからもうあの、死人の方へ送ったと、そうじゃなくて何かこう、一時ばかりか気が確かになるまで入れる室があるそうです。そこへ運んだ意識が出るまで。
そして、「無事に手術が済みました」と。何回目かの時でしたね。とにかくこう頭からこう切られるのですね。いわゆる先生方のなんでは、頭からこう切って、だから頭はもう丸坊主に全部されておったそうです。ところが富永先生の、その流儀というのが、この下からするのが流儀だとね。だからあの自分の教え子の先生にその事を言われたから、「んならまあ、師匠と言う通りに、先生の行き方でいきましょう」と言うて下から切った。こう開けてしもうてからビックリした。
もうとにかくですね、頭に走っとらなければならない筈のものがですね。下にこう走っておらなければならない筈のものがです、もう全部ここの頬に集まってしまっておった。もうこれは、開いてみてからもう驚きだった。しかもここに集まっておるのですから、それをもうガバーッとこう、卵焼きの大きいようなもんですたいね。オムレツかなんかの大きな、それこそこう大きな洋食皿いっぱいあった、と言う事ですね。
この様な見事な手術が出来た事は始めてだったと言う事。そしてこれは肉腫じゃなかった肉腫ガンでもなかったと言う事になった。「そんなら何と言う病気か」と言うて、調べられましたけれども、世界中にこの病名がある病気がなかった。これはね一月ぐらい前に、伊万里の市長の竹内市長が、御本部に色々お願いに行かれたね。「私共の教会の息子さんがこうこうでございます」と言うて。それでお初穂を奉られてからね、「大坪幹三郎肉腫」と書いてあった。書いてお初穂お供えさして頂いた。
そしたら金光様がね「あら内腫ですか」と仰った「いえ肉腫でございます」で金光様が目が大変お悪くなっておられます。だから「肉腫」と書いてあるのを「内腫」とお読みになった。それで金光様が「内腫ですか」と仰った。その話ばです帰り掛け寄ってから、こうこうだったと言われるから「竹内先生おかげ頂きますばい」とその時私は申しました。「これは肉腫じゃなかばい。これはもう無い腫ばい」ちゅうて私が申しました。あの御結界から流れてくる言葉っていうのは、その位に至頂かなきゃなダメですよ。
「はあ、金光様が目が悪うなさるけん、見違いなさった」まあ竹内さんもそう思うておった。同じ。けれども私、それを聞いた瞬間ですね、これは肉腫じゃない内腫だと思った。もちろん内腫なんていう病気があるはずはないね丁度十二月の二十日のここの報徳祭。報徳祭の日が、その幹三郎の事の為にわざわざね、福岡で学会がもたれましたね。その時の文献が、こんなに厚い本になっとるから、ここに一本あの奉納したいと言うておられます。まあ私共がとても見ても分かりませんけれどもね。
いわゆる病名の付けようがない。どっからどう見ても肉腫でありか、又は肉腫ガンだという筈のものがですね。私はこの神様はその位の事は出来なさる神様だと思うですね。例えばほんなら松岡さんなんかそうでしょうが。子供に空気銃の玉ここに入ったんですから。医大でレントゲンの結果が、ここに入ってる事が分かってる。けども手術して目が潰れる潰れないは請け合われん、と言うたから神様に一心になる気になった。
一週間目に神様が、誰かが手術をして下さって、その空気銃の玉を掌の上にのせて見てて下さったね。そして「これじゃったろうが」と仰った。それ夢じゃった。それっきり痛みがなくなった。傷口もとれた。もうおかげで三人か四人かのお母さんになっとります。もう二十年も前の話です。ですからね、そげなあなた、こじつけたこたること」ち「いやいや、肉腫じゃったっちゃ、内腫になっとった。金光様がそれを仰ったんだ」とね。さあそれはもうほんとにたいへんなことでございましたね。
もうとても生きては帰られないと言うのが皆の心の底にある。けれどもおかげ頂かんならん。ですからもう、もうテレビから、応接セットから、もうまるきりこれはあんたその、高級アパートにおるごたるじゃんのちゅうごとその、様々に、もう額からもういろいろね、皆さんがテレビにね、それから応接セットのようなものまでね。まあ幹三郎さんがね、の最後の、を喜ばせたいという思い、真心でございましょうね。そういうおかげを頂いて、退院のおかげを頂いてまいりましたね。
とてもね、とても私は、私の方の子供で、お道の教師にならないという者一人もおりません。もう子供の時からもう、「金光様の先生になって、親先生になる」っち言う。子供の時から、親先生。皆が「親先生、親先生」ちゅうのでやっぱり、親先生っちって思とる。ね金光様の先生の事を。ところが、幹三郎だけはそうじゃなかったです、僕は自分の学び、「勉強したい勉強さしてくれ」と言うて、わざわざ中学校の先生が、「ちっと浮羽高校はお宅は無理」っち言われたごと、もうその時には辞めるっちゅう。
「だから僕は、浮羽工業高校に受ける」と言うて、浮羽工業高校を受けさしてもろうて、二年間みっちりお勉強をしたわけです。そして「僕の生き方、信心は止めん。けれどもお道の教師にはならん。」と言うのが幹三郎のけれども、私はそれを聞く度にねお前そげなこと言うてとも思いませんでしたし、「神様がどういう手でお道の教師として、お取り立て下さるだろう。か」というふうに、まあ思うとりました。そしたらそのような事になって参りました。
そして自分から、もう学校の友達が何回も何回も、先生も何回もお出でて頂いて、「もういっぺん復校せろ」と言う事をです、勧めて頂きましたけれども、もうガンとして動きませんでした。「いえ僕はね建築家を目指したけれど、僕はもう宗教家をはっきり目指さしてもらうから、お父さんの後に付いて信心の稽古をします」とこう言う。だからもう「君がそう言うなら」と言う様な事でございました。
そして一年間ですね、あの人の信心ぶりというものを見せて頂いておると、ほんとに無い命を助かっておったと。私はぼけのようにしておりましたけれどもね、実はもう病院や何人もの人から、「あんたがとこは肉腫ばい、肉腫ガンか分からんばい」と何回も人に言われてから、自分もと言う事は知っておったと言よりました。「それにしてはえらい落ち着いっとったなぁ」と言うて皆さんが申しましたけれどね。
手術の後にあの、こう麻酔が覚めてまいります時に、筆をこうとらにゃならん。その一番始めに書いとる事は「がんばります親先生」と書いちゃりました。そしてね「まあだ麻酔がよう効いとらん内に切られたから痛かった」っちから、ほんとによく頑張ってくれましたね。そしてですおかげを頂いて助かっただけではなくて、そのそれこそ賜りし命であります。もうそれを実感として彼は、そう感じておるのでございましょう。
だからやはり、眠くもあろう苦しくもあろうけれども、この頂いておる命をね、「神様に喜んで頂く事に使わせて頂かなければ」というのが、まああの人の内容ではなかろうかというふうに思います。今ここでは修行生の方達が10人おりますから。夜の御祈念は、言うなら、修行生の方達で御祈念をし、教話をさして頂きます。幹三郎の当番の時にはですね、お参りが多いです。「幹三郎さんの話が頂かれる」って。そらもう私の子供達が一番お話が下手です。
もうそれこそもうまあ言うならドモリまわってボツボツとしてお話をいたしますけれども、その言う例えば、三分か五分かのそのお話の中に、私がこちらの御結界から聞かせて頂きよって感動するようなことを申します。ある夏季あの去年の夏季修行の体験発表を、丸少を代表してあの人が発表致しました。皆が沢山発表しましたけれど、最後に申しました。「今日の発表は幹三郎が去ろうてしもたね」と私は申しました。
どう言う事を言うかというとね、毎日ね親先生のお供をさして頂いて、朝の奉仕をさせて頂くが、晩休ませて頂く時には、もう床の上であの、久富さんが言われるんです。「幹ちゃん、何ば一生懸命お願いしござるじゃろうか」というぐらいにですその、夜休む時に布団の上で御祈念しよります。それはね「明日、どうぞ親先生のお供が出来ます様に、目覚ましのおかげを頂きますように」と言うて、お願いをさせて頂いておりますけれども、「まあだいっぺんだって親先生より早く目覚めた事がない。
けれども、何とはなしに有り難うなった」と発表しておりました。私は金光様のご信心はね、自由に思うようになったけん、おかげ頂いたじゃなくてです、願っても願っても思うようにはなってはいないけれども、信心をさして頂いておるうちにいつの間にか、何とはなしに有り難うなってくる、という有り難さでなからなければ、私は本当のものじゃない。何かもろうたから有り難かった。お願いしたばってん、もらいきらんやったけんで、「神様もいい加減なもん」と言う様な人すらがあるね。
今日私は、幹三郎の話をしようなどとは全然思わなかった。これはねいわゆる幹三郎のいわゆるおかげ話でございますけれどもね。そのおかげ話の中にですね。私は信心のひとつの要諦と言うか、言うならばおかげを頂くコツと言うかね、そういうものを私は感じます。先ほど祝電がくさんもらっておりました中に、一番に読み上げました伊万里市長の竹内先生が、今、御用で名古屋に行っております。2,3日前から。その伝言の中に、「親先生有り難うございます。
有り難うございますと続けて申しておりますと、合楽のお広前で受けるあの感動と同じ感動を受けております」と書いてありましたね。しかも「この感動が、世界の隅々にまで広がって行くことを祈ります」と書いてあったね。私は去年の七十年代と言われるね、様々な何々時代何々時代と言われますよね。なるほど人間が月の世界に行けれた年ですものね、今までは「まんまんしゃま」と言うておったお月様にです、この頃期せずして総代会の日が、ちょうど名月三日でしたかね。
ですからお話し合い終わってから、「ちょっと月見しようか」と言うてから、あの客殿の庭に茶床を敷きまして、赤い毛氈(もうせん)を敷いて、まあ急ごしらえの月見の宴を貼りました。総代の高芝さんが、「またもうあの月の世界っちゅうばってん、あそこであんた、人間の小便漏ってきよるですよ」ちゅうてね、そうかもしれんね。けれどもやはりです、私共はねやはり、やっぱり手を合わせて拝まなければおられないものを、やはりやっぱりお月様であるね。
そういう一つの情感と言った様なものが、段々なくなってきた。そういう心を大事にしなくなってきたね。人間の知恵や力でです、いわゆる月の世界にまでも行けれる、いや火星にも近い将来行けれるようになるだろう、と言う様な時代である。そしてその最高の頭脳とね、いわゆる科学人というか、そういう学者達がですね。「こう言う事が出来る様になったけれども、人間の幸せとは別だ」と言っております。人間の知恵やら力で、どのような事ができてもね、幸福と言うことは別だ。
これは、『心』だと。いわゆる心に気付いてきたわけ。人間の幸せと言うのはいわゆる幸福というものは、ね。「心にあるのだ」と。そこで私共はもう、ただ心だけではいけない、いわゆる『和賀心』である。今月は全国から、あっちこっちから沢山なご参拝がありました。夏休みを利用して。若い方達が多いのは有り難いと思います。今ここから、五人の学院生が行っとりますから、まあ宣伝もいいわけでしょう。
ですからもう「合楽合楽」と言うて、今度の御本部参拝、豊美ども行っとりましたから、ずうっと五、六人ずつ、沢山いっぺんに入られるものですから、もう私は身動きがとれませんでした「一口お話頂きたい」「一口お話頂きたい」という人達でね。それで私はお土産のことば申しましたんですけれどもですね。丁度その中に「佐藤宿老」皆さんもご承知ですね。金光様の、教祖様の言うなら「三羽烏」とも言われなさった方。
いわゆる教典を、教祖の御教えに基いて、あのように整然とした物になさった方が、佐藤宿老でありますね。三代金光様の、奥様のお父様にあたります。その佐藤宿老のね、孫にあたるという人が、今度の夏休み、ちょうど二十日余り修行に、まいりました。去年から学院に入って、二年間本家の方に行っておりました。それで合楽の話を聞かせて頂いて、どうしても、いっぺんおかげを頂きたい。近いとこなら歩いてでもと思うけれども、できませんから。
さあ、それからひとつ一心発起、学院生達が飲む、サイダー瓶とか酒瓶を集めた。丁度二年目にですね、いわゆる合楽におかげを頂けれるお初穂と旅費が、往復分ができた。それでここの学院生と一緒に帰ってきた。そういう一生懸命なものですからね、丁度もう夜の御祈念終わってから電気消してしまっとりました。ここから入ってからの長い廊下を通る時にね、「もうどうにもできん感動を覚えた」と言っておりますね。今日は「感動、感動」と言う事を申しておりますがね、私はもう感動こそですね。
言わば、暑いことも暑いと感じんですむ、寒かっても寒さを感じんですむほどのね。苦しいけれども有り難いというのが感動なんですね。結局金光様のご信心とはね、有り難うならして頂く稽古。そういう感動がいつも絶えず、これから湧いてくるようなおかげを頂く稽古なのですね。三日目でした。昼の御祈念を終わって、出てきましてから「先生、私のようなものでも、御心眼を頂くでしょうか」と。「そりゃ頂くさい、私が頂きよるとじゃけん。あなた達が頂かんはずがあるものか」ね。
御心眼と言うても、私それはもう「霊眼」と言うたほうがいいかもしれませんね。言わばこうやって、心にいろんなものが映じてくるんですから。それをね、ここで御祈念しとったら、ここのお広前いっぱいにですね、「平和奈心」と大きな字で書いてあった。しかもそれが、タイトル付きであった。「平和」の「平」という字をね、「一」書いて「八」「十」と書いてあった。そういうふうに読めるように書いてあった。一、八、十。「平たい」という字になるでしょう。
「和」の心というのはね、もうどげんしたっちゃ崩れまいっちゅうごたる、という頑丈な頑丈な「和」であった。「な」というのは「奈良」の「奈」であった。それを「大きく示す」と頂いたね。奈良の「奈」という字を書いてみて、「大きい示す」と書いてあるでしょうね。「心」というのは、「八」の字を書いて、またこちらにも「八」の字をこう書いてあった。「八」字というのはもう、広がりに広がって行くと言う事ですよね。「平和奈心」というのもそうです。
「平」という字もそう、一、八、十。この信心にもう一つプラスして行かなければならないものは「和の心」だ。その方の願っておる事は、いわゆる奈良の「奈」で、大きくお道の信心を示して行こう。おじい様であるところの佐藤宿老の、あのような素晴らしいご信心を、孫である私どももそれを頂いて、世に現して行こう、という念願においておる。それには、いわゆる「和の心」を頂かなければならない。「和の心」とは、お道で言うところの「和賀心」の「和」というのは、ただ和らぐというだけではないね。
和の「和」という字は、会社なんか行くとようこうしちゃあるよね。
例えば「むつまじゅう」ってそういうだけのことではない。心の中にあるところの「和」というものが、どう言う事に直面しましてもです、崩れることのないところの「和」でなからなければならない。いわゆる不壊のものでなからなければならない。どんなに金槌で叩いても壊れないもの。どのようなことが起こっても驚かんですむ心。この「和の心」を頂く為に、お互いが日々精進さして頂くのはそれなんだね。
学者達が気が付いておる「心だ、心だ」と言うておるのはね。ほんとに心に取り組ませて頂いたら、なるほど教祖金光大神が仰った「生神金光大神 天地金乃神 一心に願え。おかげは和賀心にあり」という「和賀心」なんだね。どのような場合でも崩れないところの心を「和の心」。お道で言う「和の心」「賀」はね。「賀正」の賀と書いてありますが、教祖様は「祝賀の賀じゃ」と仰っておられますね。
そういう心をです、そういう心を常時頂かせて頂く稽古を本気でさせて頂かなければならん。それがね、神向かうという信心はそれなんだ。「この方のことを生神、生神と言うけれども、この方がおかげの受けはじめ、みんなもこのようなおかげが受けられる」と教祖は私どもに断言しておられます。
「そげん生神様にはならんでんてん」なんてっち言わずに、本気で金光様のご信心は生神を目指す道なのである。んなら、生神を目指すということは、私の心の中に、いよいよ和の心が、賀びの心がね。常時頂けて行くことを喜びに楽しみに、信心の稽古をさせて頂くというのであるね。そういう心にはです、神様が喜んで下さる。言うならば教えを本気で行ずるね。そこからね、和らぎ賀ぶ心というものは生まれてくる。よし生まれないにいたしましても、幹三郎の言葉を借りるならね。
「この頃、何とはのう有り難うなってきた」と、まあだ十七の子供がそう言うたね。そこで私がです、七十年代に入ってすぐ、元旦祭に皆さんに申しましたようにね。どうでも世界中にです、「和賀心時代」というものを創らなければいない。それをなさらなければいけない。それは千年万年先の事かもしれません。けどもその為の学問も創らなきゃいけない。それをひとつ義務教育にしたい。
そして人間の幸福というのは、和賀心にならなければ、幸福にはなれないんだと、幸福になれるなれないは別として、その事だけは頭の中だけでも分からなきゃいけない。金を儲け出しゃ偉くなればね、勉強ができれば幸福になるといったようなものを、捨て切ってしまってね。私の心の中にです、和賀心を目指す、なってしまわなければというのはたいへん難しい。「和賀心になろう」と目指すということなんだ。「本気で信心をさせて頂こう」ということなんだね。
「本気で信心をさせて頂こう」というところにです、神様の喜びがある。その喜びがこちらに返ってくるそれが和賀心であるね。竹内先生の伝言の中にね。「この感動を」ね、「世界の隅々まで広がって行くことを祈りといたしております」という意味のことを書いてある。お互いがその、「これが和賀心というのであろうか」「これが神様のお喜びが私に返ってくるのであろうか」というそれをです、パンッとこう頂いて、それをいよいよ大事に大事に育てて行くと言う事が信心である。
それが生神に向こうていくことなのであるね。なるほどこういう心になら、おかげは神様が願わんでも下さるのであるね。降るようにあっておるおかげを私どもがね、それを受け止めさせて頂くと言う事なんだ。もうほんとですよ。おかげっていうのは降るようにあっておるとです。それは私共の受け物がないから受け漏らしておるだけのことね。今朝の御理解に、「慢心が出るとおかげを取り外すぞ」とある。その前のほうにはね、「世に三宝様を踏むと目が潰れると言うが」ね。
「三宝様を踏んでは目が潰れる」三宝様と云うことを穀物の意と下に訳が書いてあります、教典にね。三宝様を踏む。私は今日のその御理解を頂かせてもろうてから一番最後のところにですね。「慢心が出るとおかげをとりはずすぞ」と仰るほどしの、私はおかげを頂いてみたいと思うね。それとね、ほんに自慢しなければおられないね。ほどしのです、私はおかげを頂きたい。それは例え落としましてもね、だから私そこんところをですね。「慢心が出るとおかげを頂きそこなうぞ」と今日は頂きました。
慢心が出るとね、沢山の信者がおりますけれども、果たして慢心の出る程しのおかげを頂いておるだろうかね。おかげを取外して取外すものを持たん。そうでしょうが。ものを持たんとじゃから。取外すっちゅうごたる、そのものを頂いとらん。それよりもです、やはり神様の働きの間違いなさを分からしてもろうて、「信心さしてもらや、この様なおかげが受けられる」という程しのおかげを頂いて、そしてそれを落とさして頂いてもです、もうその時には神様の絶対が分かっておるのであるからね。
そこからまた新たな、いやそれとは違った大きなおかげが頂けれるようになってくるのですね。私の信者時代、財布を出してみしゃう、一銭も入っておらん。明日はねいくらいくら払わんならん。けれども明日私、払わんならんまでには、必ずこの財布の中にそれが入ってくる、と私は断言してお話しよった。だからそういう話はね、「大坪さんの自慢話」とも言われた。いわゆる慢心であった。けれども、確かに頂いた。その次の続くように「あん時どげんことになりましたか」と言うて皆さんが聞かれる。
「あん時あなた、こう言う様な経緯を辿って、こう言う風にして何百円が入ってきて、こうしてお支払いができましたよ」と言う様なお話であったね。そういう慢心がです、置いた物を取る程しのおかげを頂きながらです、さあ、そこに一年半あまりのいたしましたら、「右と願えば左、左と願えば右」と言った様な事になってきた。言うなら慢心がです、その慢心、信心の有り難さに悪酔いしとるようなもんですね。酒に酔うとるようなもの。ほれでもうこうやって、道いっぱいになってヨロヨロしとる。
そういう姿が見苦しかったに違いはない。そして橋の上を渡りよったところが、手すりが壊れておったそこから、真逆さまに落ち込んだというのが、あの時の苦しみであったろうとこう思いますね。そこで根性がある。確かに落ち込んだ、おかげを落とした。けれども、落ち込んだんだからね。ただで濡れねずみで上がるようなことではすまんと思い、それこそ、両方の腕に大きな鯉のひとつも抱きかかえて上がりたい、というのがその時分の私の信心であり、まあ言うなら私の信心の根性であった。
私は自分ながらそれを思う。確かに私は、濡れねずみのままではなくて、より素晴らしいものを、おかげは落としたけれども、落とした以上のものを頂いて、もうそれはおかげではなかったね。それは鯉のようなものであったね。だからいっぺん皆さんもね、神様のほんとに間違いのない働きを頂けるほどしの信心をなさらないけん。いっぺん。そしてほんとに、もうそれこそ、「神様は間違いないなぁ」と言うごたる、心の中では慢心、「もう俺はこげなおかげ頂ける」という。
けどもそれではね、いっぺん頂いて、落とすもんを持たんよりもいいでしょうがね。頂かなければいけません。そこでです、どういうわけで皆が頂けないのか、と言う事ね。昨夜、見事な松茸のお供えを頂いた。二箱です大きな見事なね、夕べの前夜祭に一盛りをお供えした。一つを今日の御大祭に(?)「先生、これは一本千円ずつします」何万円ごたあるね。けれども、やっぱり教祖御大祭、年に一回のお礼として、一生懸命でそれをやはりね、求めてみえらえた。
どんなに松茸が秋の味覚の王様と、例えば申しますが、香も良かりゃぁ味もいいけれどもです、あれを採ってきたままのね、根が付いたまま泥が付いたままにです、頂いたらどういうことになるでしょう。それで例えば土瓶蒸を作ってみたと致してみましょうか。もうジャキジャキで頂かれん、香は良かばってん、と言う事でしょうが。お道の信心がこのように素晴らしいものだとね。松茸のような素晴らしい香と味わいを持っておるものだ、と言うてもね。
泥が付いたままそのままでは、せっかくの秋の味覚の王だと言われる松茸も台無しのように、世界の名教と言われる金光教もまた、台無しなのでありますね。それが金光様のご信心を頂かせてもらいよったら、「自分の心の中に、このような有り難い心が生まれてくる」だけではなくて、この心に限りのないおかげが伴うてくるおかげを受けられる、という事実をね、体験さして頂かなければ。
それはどういうわけかと、いわゆる三宝様を踏むような事をするからだと私は思うのです。ね。ほんとにお粗末なことになりますよね、おかげを頂き過ぎますと。昨夜ももう一時頃、十二時だったでしょうか。お夜食が出とった。昨日は北野のお天満宮か何かでお寿司やらお餅やらをこう頂いとった。それでちょっと行ったら、もうたいがい終わってるとこで、食堂で。たらカマスの寿司のほんの頭のとこだけは、誰も食べてもせんなら、その良かとこだけしまえとる。
してもうこれは、捨てるばっかりっていうごたるふうにして置いてあるけん、こげなもったいなかことして、中にご飯のこげんいっぱい詰まっとるとば、お前だんどげん思うとるとか。「いいや、後で頂きます」っちこう言うけれども、私が言わんなら、あのままゴミ箱行きじゃったかも分からん。もったいないでしょうがね。お粗末でしょうが。というようにです、私どもが三宝様を踏むようなことをすると言う事は、そのようにお粗末なことになるのです。
だから勿論これは心の三宝様です。心の糧なんです。心をいよいよ豊にしてくれるもの。いよいよ心を、おかげの受け物を創って下さるものね。そこんところが大事にされていない。いわゆる手元のところが大事にされていない。難儀な問題が起きてくると、もうその難儀な問題を向こうに押しやろうとする。「いいえ、もうそげなこと御免こうむります」と言う。私共の上に起きてくる事の中には、それこそ苦いものもあれば辛いものもある。臭いものもあるね。
それこそさっきの松茸の話じゃないけれども、綺麗に言わば石付きのところは、あっ泥付きのところは落とされてね、綺麗に割かれてそれに例えば、かしわなりまたはエビの白身なり、鯛の白身なんかがそれに入れて、土瓶蒸なんかしたら、もういよいよそれとこれとの味わいが出て、もうそれこそ、「天下一品の珍味」と言う様な味わいの物が生まれてまいりますね。
ですから私共が、その松茸のような金光様のご信心を頂いておるのであるからね。エビにも等しい、鯛にも等しいようなものをこれに入れて行かなきゃいけん。今日も大きな伊勢エビがお供えになっておりましたね。ありゃもうこう跳ね回っておる。これがもう一生懸命、がんじがらめにくくってお供えをしてある。どうしてああいう生命力というかね、かと言うとです、あれはね、それこそ生き締められておるからです。
例えば伊勢エビと言うから伊勢で捕られたのか知りませんけれどね。まあ漁師達が捕ってまいります。そしてそれをすぐ箱に詰めて、市場に送ったんだら、もう着いた時には死んでしもうとるということです。けれどもそれをね、やはり小さい箱の中に入れて、そして、荒海の中に一週間も十日も放からかしてある。もういわゆるごちゃごちゃに入っとる中で、荒海でもまれる。そこにたくましい生命力が着くと言う事です。それを荷造りして、梱包して市場に出す。
だからそのエビがこうやってごそごそ這うほどしの元気が出るという。私共はそういう力を頂けれる大事な事を「はあ、苦しく生き締められておるんだ」と思わなん。今こそ天地の親神様の愛の働きが、このような働きに現れておるんだ、と分からして頂く時に、その苦しい事も難儀な事も、合掌しなければおられない。向こうさやるっちゃもったいなか。それこそ頂ききって行くと言う様な信心こそです、三宝様を粗末にしない生き方であると私は思います。
今現在難儀を持っておる難儀から開放されたら、そりゃ良かろうごとある。したらそれだけのことでしょう。「喉をも通れば明日は忘れる」であるね。これではね味の信心の味の出ようがない。私共がねただ今色々申して、お話してまいりましたそこからね、いわゆる「わが心が神に向こうのが信心と言うのじゃ」と教えられますから、わが心が神様に近付きよる、それこそ我とわが心が、自分で合掌できるほどしの心。
先日ね、例えばあの人は悪い人だと思うておった。けれどもね、その悪い奴だ根性が悪い奴だと、あの人は冷淡な奴だと思うような心じゃ神様へね、お願いをしたっちゃ神様には、ほんとには通じんね。そういう悪い人だと言う様な者でも、それを良く思えれるような心で願え、と頂きましたね。だから「あん奴は根性の悪い奴じゃ」というのが、自分の周囲におったらね、それだけ自分の、言わば極楽の範囲が狭いということね。だから例えば冷淡な人であるかもしれませんけれどもね。
あの人にとってみれば、そうでもあろうと思わせて頂くような心なのだ。責めるような心がない。責めたり、悪く思う心で、神様にいかに、さかたんぼうふって拝んだところでダメだと。そういう心が神心だと頂きましたね。悪い者でも悪く思わんですむ心が神心。そういう神心が、私どもの心の中にね、蓄積して行く、一段一段それが自分のものになってくるね。そういうおかげを頂かせてもらう。いよいよ信心が楽しいものになってくるね。喜ばしいものになってくるね。
止めよと言われたって、それこそ止められるだんのことじゃない信心が育ってくる。そういう心ね。にならせて頂くところからです、「こういう心には、こういうおかげが頂けます」と、私共は「まず手本になるような信心せよ」と仰る、そういう手本を示さなければならない。そういう言わば、手本をです、言うならば、「世界の市場に出そう」というのが、私が去年から申しておるわけです。和賀心と言う事はこのように素晴らしいことなんだ。人間の幸福は、和賀心なしにはほんとうは頂けんのだ。
だからこれはもう金光様のご信心だけではなくて、人が助かるというほどしの、教えを持っておるという程しの宗教なら、もうありとあらゆる宗教がです、打って一丸になってです、和賀心を目指さなければならないね。そしてまだ信心を知らない、いわゆる不幸せな人達にそれを伝えていかなければならない。それも口で伝えるだけではない、商品見本をここに持って、こういうおかげをとね。「私を見て下さい」と言う様なものを、そこに引っ下げての世界の市場へ出させて頂こう、というのが私の理想であるね。
ならそのそういう理想がです、皆さんに受け継がれ子供に受け継がれ、それが千年万年掛かるかも分からない。世界中に広がって行くと言う事は、けれどもそれはねだからと言うて、いよいよそれをただ放っておく訳にはいけない、というのが信心だと私は思うね。教祖様が仰る、例えば自分の前の角はばかして頂くでも、「それが世界の平和に繋がるんだ、世界の清まりに繋がるんだ」という思いでは訳と仰るそれなんですね。
もう「自分方の前さえ綺麗になりゃ良か」と言うてから、婿さんはわきやるごたることではいけない。よしそれば、んならとったところでです、「これが世界の清まりになるんだ」と思うて、お掃除をせろと、表の角をはわけと仰る。そういう考え方をです、世界中の人間氏子に、皆に徹底させていきたいね。それにはやはり、祈りと同時に、私自身がそういうおかげを受けなければならない、と言う事になる。
日々が感動で、ね、どこから湧いてくるか分からん有り難さがです、満ち溢れてくるほどしの私は、心の状態を願っての信心にならせて頂かなければならん。教祖生神金光大神というのは、そういうお方であった。「生神金光大神とは、どちらに転がしても喜びだけしか出てこんという境地」だと言われておりますね。だから「みんなもこのようなおかげが受けられる」と仰せられるのですからね、できるできないは別として、やはりその方へ方向を向けなければいけないね。
その為にはいよいよ最近言われておる体質改善でありますね。体質改善がなされなきゃいけん。それには「あれは嫌」「これは好き」と言った様な事では、偏食になりますから体質改善はできませんね。先ほどからも申しますようにね。「三宝様を踏むな」と。「天地日月の心になること肝要なり」と仰るように、天とは与えて与えて止まないもの。地とは、それを受けて受けて受け抜くもの。その「天地の心」になることが肝要だと。「神様の心を心として」というのはそれなんだ。
その受けて受けて受け抜かせて頂く中には、臭いものもありゃ、苦いものもありゃ、痛い痒いこともあるけれども、それを合掌して受けていくことが修行なのだ。「日月の心」ね。日月ほど確実な、いわゆる実意なものはありますまい。そういう日月の心のような、正確さをもってですね。私はおかげを頂いていかなければいけない。自分の都合の良か時だけ参ってくるのではなくて、私のなら十七の子供ですら、「自分の命は、神様から新たに頂いたんだ」というその感動で、もう一年間ね。
三時半の私が出世させて頂くそれにお供をして付いてきておる。十七の子供ですよね。一心発起をすれば誰でもできることなんだ。朝参りぐらいできなくて、金光様のご信心のほんとうのものは頂けれると思えないね。そんなやっぱ、きつうもありゃぁ眠うもあろうけれども、そこをです、辛抱し抜かせて頂くところにですね、「辛抱して良かった」という感動が、喜びが頂けれるね。その喜びをいよいよ大きなものにしていくことを楽しみに、お互い信心をさして頂こう。
教祖生神金光大神が、永世の祭日としてね。この十月の十日、いわゆる「九月の十日と十月の十日、旧と新のそれがつれ合う日が、金光大神神上がりの日ぞ」とご生前から仰られておられた。そして、ご生前から、「金光大神祭」として、月の十日を「金光大神祭」となさった。それはどう言う事かというと、ご自身の心の中を、私は拝んでおられたんだと思うんですね。私共はやっぱ、時々それがある。ほんとに我ながら自分の心を拝みたいごたる時があるね。
どこから湧いてくるか分からん感動ね。分からんね。もう熱うて熱うてね、背中にそれこそ熱いような汗を感じる時でも、後ろから熱いような汗を感じながら、前の方からは熱い涙がこぼれておった。(感動される)それが信心だと思う私は思うんですけど、皆さんどうでしょうか。自分の都合の良うなるだけがね、それには辛抱し抜かなければね、そこんところの私は、有り難さというものは頂けない。
その有り難いというその、有り難いこそ、神様の感動でなくてなんであろうかと、私は思うね。金光様の信心はそのように、楽しゅうて嬉しゅうて有り難うて、という信心。感動のし続けというような、おかげを頂かせてもらう。その起動になるところまでが、難しいと言や難しい。「信心はみやすいものじゃが」と仰るがね。「先生、信心は難しか」とみなが言うけれどもね。そんなことはないです。
神様にお願いをして、ここ一月ばかり毎日、高芝さんとこの娘さんの、照子さんというのが、あの自動車の運転の免許をとりに、勉強に行きよる。おかげを頂いてから、ほんとに短期日の間に「実っちもできた学科もできた」と言うて、昨日お礼に出てきた。「ほう、あんたが運転しきることになったの」っち私が申しましたら、「おかげを頂いた」とこう言うわけなんですね。
だから自動車の運転っちゅうのは、本気で運転の免許を取ろうと思うたら、そんなに難しいことじゃないのですよね。それをただ、「難しいから乗れん乗れん」と言うておったんでは、いつまで経っても乗れません。信心もそこまで。ほんとの、自分で体得ができるところまで、本気で信心の稽古をさして頂くなら、「楽しゅうて楽しゅうて」と言う様な、境地が必ず開けてくる。そういう信心からしか、良い徳は受けられない。またその徳に伴うおかげももちろん頂けない。
どんなに松茸のように素晴らしいというお道の信心であっても、その信心を頂いておると言うても、泥が付いたまま、ジャキジャキしながら頂きよるようなお互いではなかろうかね。ここんところをひとつ思うてみて、ほんとに、松茸というのは素晴らしい、味覚の王だと言われるように、金光教の信心がなるほど「天下の明教」だと、ほんとに言われる、自負できれる信心を頂き、同時に現わして行きたいと思うのでございます。
どうぞ。